第三話 Mad tea party

 島の港に、デュンクとゾフォルトを乗せた島の警備船が着岸した。
 疲れた様子で船から降りるデュンクに、家族や友人たちが駆け寄っていく様子を横目で見ながら、ゾフォルトは臙脂色のコートを纏った神兎族の女性の元へ歩みを向ける。
「上手くいったようね。お疲れ様」
「ああ」
 素っ気無く答えるゾフォルトの態度に、女性は気にした様子はない。
「本島に連絡しておいたから、30分後には一課の部隊が来る筈よ」
「ご苦労」
 二人は特に言葉を交わすでもなく、海岸沿いに置かれたベンチまで歩く。
「で、これからの予定は?」
 ゾフォルトはベンチに腰を下ろしつつ、
「当初の予定通りだ」
 女性は腰を下ろさず、速天を見下ろす形で問う。
「報告はどうするのよ?」
「今日は休暇だ」
 女性は小さくため息を吐く。
「私がやっとけばいいのね・・・」
「仕事熱心だな」
 女性はさらに深いため息を吐き、ベンチに肩を落として座る。
「貴方の補佐やってると、別の部署行っても楽そうね・・・」
「よい経験になるだろう?」
 女性は最早言葉もない。
「報告が終了したら、その辺を散歩でもしていてくれ。こちらの用件が終了したら連絡する」
「了解・・・」
 島の警官がこちらに向かってくるのを見て、女性はしぶしぶ腰を上げた。

 空は雲ひとつない晴天だが、純の気分は曇天の如く沈んでいた。
 今日、デュンクが効果器免許を取得して島に帰ってきた。
 デュンクが島に着くのは昼の予定だったが、朝から港のベンチで待っていた。
 船から降りたとき、すぐに気づいてくれるよう、彼からもらった白い帽子を被って。
 しかし、彼は乗っている筈の船に乗っていなかった。
 武装船との戦闘のために途中で船を降りたと聞き、生きた心地がしないとはこういうことをいうのだな、と妙に冷静に自分を分析していた。
 デュンクが島の警備船から降りてくるのを見たとき、全身の力が抜けた。
 デュンクの姉であるしろがねに支えられ、デュンクの元へ向かうと、彼は一言。
「眠い」
 周囲の人々が呆気に取られる中、デュンクはさっさと家路に付いてしまった。
 誰も言葉を発さず、苦笑を浮かべて解散していった。そして純一人が残された。
 折角外出してきたのだから、と本屋に足を向けるが、ほしかった筈の本に魅力を感じない。
 その後も色々と店に入ってみるが、興味が持てなかった。
 特に何をするでもなく、ぶらぶらと町を歩く。目に入るもの、耳に聞こえるもの、全てがどうでもいい。
 と、その時だ。
 周囲が「見えて」はいても「認識」していなかったためか、歩く人と肩がぶつかった。
「あ・・・すみません・・・」
 小さく頭を下げる。
「こちらこそ」
 女性の声。視界に臙脂色が入る。
「あ、ちょっと・・・」
 そのまま通り過ぎようとすると、呼び止められる。面倒くさいことになるのだろうか、と内心ため息を吐く。
 純は振り返り、その女性を見る。臙脂色のコートに身を包んだ、黒髪の神兎族。肩には効果器らしい長剣を担いでいる。
「貴女、この島の人よね?」
 その言葉で、この女性が外から来たとわかる。
「はい、そうですが・・・」
 自然と言葉に警戒が生まれた。
「この辺でコーヒーの美味しいお店ないかしら?」
「え・・・?」
 すぐには女性の言葉に反応できない。よく考えれば、どうということはない。
「あ、それなら、この先の十字路を左に曲がったところに・・・」
 女性は小さくうなずくと、微笑を浮かべ、問う。
「ありがとう。ところで貴女、今暇?」
「え・・・?」
 自分で間抜けな反応だと思った。
「よかったら、一緒にお茶しない?」
 今度は、彼女の言葉が本当に理解できなかった。

 以前デュンクと一緒に来たカフェ。
 屋外に並べられたテーブルの一つに、向かい合って座る。
 女性はカプチーノを、純はミルクティーを注文する。
「あの・・・どうして・・・」
 何故自分が見知らぬ女性とカフェにいるのか。今頭の中には疑問しかない。
「ん? 私が貴女をナンパして、貴女は応じた。何か問題があるかしら?」
 女性は悪戯っぽい笑みを浮かべる。まあ、悪い人間ではなさそうだが・・・
「私は黒兎(シュバルツ・ハーゼ)。貴女は?」
 名を問われたのだと気づくまでに、少々時間を要した。
「・・・あ、純天です」
「純ちゃん、でいいかしら?」
「はい。えっと・・・」
「レプレ、って呼んで」
 聞きなれぬ言葉。
「この星の古い言葉で「野ウサギ」って意味らしいわ。何となく響きが気に入ってるの」
 そこで注文した飲み物が運ばれてくる。レプレはスプーンでカプチーノを泡立てつつ
「純ちゃんは、何をしてるの? 仕事」
 問われ、純は砂糖を入れたミルクティーをかき混ぜる手を止めた。
「え・・・あ・・・。両親が共働きなので、主に家事を・・・。それ以外には何も・・・」
 レプレはカプチーノを一口。ほっ、と息を吐く
「恥じることではないわ。家事だって立派な仕事よ。むしろ、生活全ての根幹を成している点で、最も重要な仕事と言えるわね」
 純は俯き気味だった顔を上げ、ミルクティーを一口。牛乳と紅茶の香り。続いて紅茶の渋みとごく微かな砂糖の甘み。
「そう、かも知れませんね」
 レプレの言っていることは、理解はできる。だが、何故か負い目を感じてしまう気持ちは消せない。
「ま、誰か「いい人」と一緒に暮らすようになれば、わかるかもね」
 彼女の言う「いい人」の意味を考え、その意味を理解したと同時に、一人の少年の顔が思い浮かび、一気に顔が熱くなる。
「ふふ・・・」
 そんな純の様子を見て、黒兎は微笑。
「デュンクとはっ、そういう関係じゃなくてっ!」
「ふーん・・・デュンクっていうのが純ちゃんの「いい人」ね」
 純は慌てて口を噤むが時すでに遅し。レプレは微笑を明らかな笑みに変える。
「好きな人がいるのって、素晴らしいことよ」
「そ、そういうレプレさんはどうなんですかっ?」
 何とか反撃を試みる。レプレは、笑みを苦笑に変え
「ま、いないわけじゃないけどね・・・。何とも掴み所のない男だから・・・」
 レプレはカップを口に運ぶ。
「・・・大体、今日だって、自分は暴れるだけ暴れて、休暇だとか言って、私に後始末させるし・・・。本当、男ってのは・・・」
 純は、突然噴出した不満の言葉に面食らうが、ふと、自分の中にも同じような不満があることに気づく。
「そう・・・男の人って勝手ですよね・・・」
 一度口から出た感情は止まらない。
「一ヶ月も会えなくて、やっと帰ってくると思ったら、すっごく心配かけて・・・」
 レプレは真剣な表情でその言葉を聞いている。
「船から降りて第一声が「眠い」って・・・。私がどれだけ心配したと思ってるのか・・・」
 レプレは、純の言葉が切れるのを待って、話し出す。
「その彼は幸せね。こうやって思ってくれる人がいるんだから」
「あ・・・ぅ・・・」
 再び純の顔が赤くなる。
 レプレは冷めたカプチーノを飲み干し、もう一杯注文する。
「でも、たまに思うんだけどね・・・」
 レプレは僅かに視線を伏せ
「男に限らず、人間って、一人で勝手してるように見えても、勝手ができるのは、他の部分をフォローする人がいるからなのよね。本人が気づいているかどうかは関係なく」
 純は上手く言葉が出ない。レプレはさらに続ける。
「それは家族だったり仲間だったり恋人だったりするけど、結局は人。一人で生きてる人間なんていないもの」
「お互いに支えあってる、ってことですよね」
「そういうこと」
 レプレは、運ばれてきたカプチーノを一口飲み、小さく笑う。
「可笑しいわね。私が愚痴りだしたのに、自分で話をまとめてる」
「ふふっ、そういえばそうですね」
 二人は暫しくすくすと笑い合った。

「ご馳走になっちゃってすみません・・・」
「いいのよ。楽しい話ができたから」
 右へ曲がれば港、左へ曲がれば街郊外への丁字路。
「私も楽しかったです。ありがとうございました」
 純は丁寧に頭を下げる。
「また、会えると良いわね」
「はい」
 レプレはじゃあ、と軽く手を上げて港へ歩き出す。純も軽く手を振り、家への道を歩き出した。


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